天文民俗学入門(上)
 
上原 貞治
 
 夜、道を歩きながら、また、何も考えずに部屋の窓から外を見て、空を見上げるとそこには星が輝いています。私たちは、星々を見ながら宇宙について想像したり、人間の存在について考えたりします。思えば、その星々は、ずっと昔から変わらずにこのように輝いていたはずです。昔の人たちもまた、現在の私たちと同じような気持ちで星空を見上げていたのでしょうか。そういう疑問に想いをはせることから、天文民俗学ははじまります。天文学者でもない、芸術家でもない、ただの普通の人々が星をどのように捕らえ、そして利用していたか、ということを調べて想像をめぐらすことは、現代に生きてやはり星の魅力を知る私たちにとってもたいそう興味のあることです。
 
 天文民俗はアマチュアのかっこうの研究課題といえます。現代では、学校の教育内容が画一化され、情報化が進んでしまったので、昔の人々が考えていたことはかえって探りにくくなってしまいましたが、それでも、身近な老人に尋ねたり、過去数十年間にわたって研究されてきた資料を頼りに、また新しい切り口で天文民俗の研究をすることは可能なのではないかと思います。私は天文民俗学の本格的な研究家ではありませんが、この魅力あふれる分野の研究をはじめようとされている方、そして、将来、研究をはじめられるかもしれない方のために、その入り口が開いていることをお知らせしたいと思って、この小文を書くことにしました。ここにはこれまでの研究結果の具体的内容は書きません。それは、いろいろな書物で調べて下さい。私は、これを読んでくださった方々のごく一部の方でも、新たに天文民俗について調べたり、研究を切り開いたりしてくださることを願っています。
 
1.常民の歴史の研究方法
 星を見る人々の気持ちは国によって違うものなのでしょうか、それともどこの国でも同じなのでしょうか。これは難しい質問ですが、世界の各国に残っている神話や伝説を見る限り、やはり国によってかなりの違いがあるように思われます。ところが、たまに驚くような共通点があり、研究者や愛好家の興味はつきません。
 しかしながら、おもに天文民俗が扱うのは、創生神話や宗教や英雄伝説ではありません。普通の人々の歴史なのです。外国の普通の人々の歴史を調べることは簡単ではないので、ここでは日本の天文民俗の研究に絞ることにしましょう。もちろん、どこの国、どの民族に関する研究であっても、その方法は同じであってよいのは言うまでもありません。
 日本の民俗学の巨人、柳田國男は、普通の人々のことを「常民」と呼びました。歴史として文献に残っているのは、いわば「有名人」の歴史です。普通の人々の生活はほとんど文献には残っていません。しかし、柳田は、たとえ文献が何も残っていなくても常民の歴史を研究することは可能である、と考えました。彼は、現代の人々の生活に根付いている生活習慣や風習、そして、人々の間に伝わっている伝説と昔話を研究しました。一方、大勢の信者をかかえる仏教や神道などについては、あまり興味を示しませんでした。これらの宗教の儀式においては、知識人や権力者の影響が大きいと見たのです。彼が重視したのは、個々の村で細々と続けられている小規模な民間信仰だけでした。そして、日本人のより根源的な信仰を探るため、アイヌや沖縄の人々の信仰までも研究しました。 その結果、各地に残されている非常に些細な生活習慣、なにげない道具の名前や風習にも必ずや大勢の人々の深い歴史が刻み込まれており、何の関係もないような複数の現代の事実が、常民の歴史の源流でつながっているのだという、深い確信を持つにいたったのです。
 20世紀以降、日本で行われている天文民俗学の研究も、この柳田の研究方法を踏襲したものということができます。私もこの方針に従って、天文民俗の研究について紹介したいと思います。
 
2.星の和名と生業への利用
 日本の昔の人々が、星をどのように見ていたかということを調べる第一歩は、日本に以前から伝えられている星の名前を調べることです。日本には多くの星の和名が残っています。
 ここでは、その具体的な研究や個々の星の名前に触れることはしませんが、全体の傾向として、星の和名は、常民の生活や身近な知識にそのまま密着したものであり、外国から入ってきた知識やメジャーな宗教儀式に関連したものは少ないということです。星の色やその並び方から名付けられたと考えられる非常に素朴な名前、身の回りにある道具に関連づけた名前、農林業や漁業に関する知識に関係している名前が多いのです。特に、この最後の分類に関係するものは「生業に関する天文民俗」と呼ばれており、星名だけでなく、その星の利用方法を含めて、天文民俗の研究の白眉であるとされています。
 生業への利用といってもわかりにくいと思いますので、具体的な例を挙げたいと思います。まず、季節や時刻を知ることが、農林漁業はいうまでもなくあらゆる職種において必要でした。また、天気や収穫の予想にも用いられました。さらに、景気や相場の予想に用いられたことすらありました。これらのうちのある部分は科学的根拠に基づいており、ある部分は迷信ですが、民俗学では、その利用法やどのような信念をもっていたかがより重要です。しかし、一方では天文学は科学ですので、科学的根拠についてもちゃんと調べるというのが今後の重要な切り口になると思います。
 また、和名の語源についてはよくわかっていないものも多く、それらの中にはすでに廃れてしまった方言に起因するものや、別の地方の方言が転訛したものもあると考えられ、事態を複雑にしています。今後も続けていくべき重要な研究課題と言えます。特殊な技能などと関連していた和名は、遠く地域を隔てて移入されることもあったでしょう。
 いずれにしても、過去の無名の人々が夜空を見上げ個々の星に注目して各人の仕事に利用していたということを想像するだけで、人間の歴史の深さを改めて感じることができると思います。
 
3.伝説と昔話
 一般に、伝わる昔からの言い伝えは広い意味での「伝承」と呼ばれており、それが物語形式になっている場合は、「民話」と呼ばれています。しかし、柳田國男は、そのような曖昧な用語を拒否して「伝説」と「昔話」という2つに峻別しました。私はこれは非常に重要な点ではないかと思っています。柳田によれば、伝説とは語り手も聞き手も基本的に真実の歴史的事実であると信じていた話であり、こういうものは原則として改作はされませんでした。一方、昔話は語り手も聞き手も本当のことだとは信じていなかったので、話をおもしろおかしく改作することは十分期待されていることでした。
 日本の星の名前にはこの伝説にまつわるものがいくつかあります。これの伝承経路を追うことが従来よりその研究の王道でしたが、今後はもととなる歴史的な事実を確認することも重要になると思います。上に書いた通り、伝説というのは、人々がその昔に(といっても、祖父母の時代におこった、わずか50年程度前のことも珍しくない)体験した事実として伝えられている一種の超能力的あるいは超自然的な事象である場合が多いようです。これが、星や天文現象と結びついた場合は、科学的には到底ありえないと思われるような説明でも、一種独特の迫力のある説得力を持つ場合が多く、人々の深層心理をゆさぶるものとなります。天文民俗が伝説の研究についての一つの切り口になるものと思います。
 一方、昔話と結びついた天文民俗は日本には比較的少ないように思います。七夕には一種そのような雰囲気もあるのですが、これはどちらかといえば深いところでは宗教的観念に関連しているように思われます。宗教となりますと、信仰をしている人は如何に荒唐無稽な話でも無条件に真実として受け取りますし、その宗教を信じない人はすべて作り話として受け取りますので、伝説と昔話という分類ができません。我々のよく知っている西洋起源の星座の多くの背景にはギリシア神話があります。しかし、日本の星や天体の背景には神話がある場合だけでなく、何らかの物語がある場合も極めて少ないようです。もし、日本のどこかで、そのようなものが見つかればそれは貴重な例となります。宗教と関連する天文民俗については次回に取り上げたいと思います。
 
(つづく)