星の名句
上原 貞治
 
 「星の名句」と言うことで、星座や天の川が詠み込まれている名句を集めてみた。私は、俳句の専門家でも俳人でもないので、ここに書いたことは俳句芸術の批評というほどのものではない。天文愛好家のたわごとと見て軽い気持ちで読みながしてほしい。今回は月に関する俳句はわざと選ばなかった。(月並みだから... 言うと思った。)
 
 
 荒海や佐渡に横たふ天河             松尾芭蕉
(あらうみやさどによこたふあまのがわ)
  
 天の川を詠み込んだもっとも有名な俳句としてその地位は揺るがない。新潟の海岸から夜間に荒海の向こうの佐渡が見えるものかどうか知らないが、その佐渡島のあるあたりの上空に天の川がおそらくは東西に横たわっている。そして海はいつものように荒れており、足下にも波が押し寄せてきているかもしれない。荒海の「動」と天体の「静」、そして地上のおそらくは見ることのできない「佐渡島」、これらを見事に対照させた名句である。
 
 
 はつ霜に行や北斗の星の前            西島百歳
(はつしもにゆくやほくとのほしのまえ)
 
 冬から早春にかけて北斗七星は北東の空に立ちあがる。それがいかにも天に壁があってそこに描かれているように見えるという情景を描いたものである。このような位置にある北斗七星を田舎道で見たことのある人なら、それがとてつもなく大きなものに見え、そして行く手に立ちはだかっているように感じたこともあるのではないだろうか。300年も前の句でありながら、その驚きを短い言葉で明瞭に表している。天文愛好家にとって同感できるうれしい句である。
 
 
 爛々と昼の星見え菌生え             高浜虚子
(らんらんとひるのほしみえきのこはえ)
 
 虚子は「写生派」俳句の大御所であるが、このような一種異様な意味のよくわからない句も残している。俳句の批評家は、この昼の星を金星とか火星とかみてもっともらしく批評しているが、それがどんな星であっても昼間に星が爛々と輝いて見えるはずはない。これは、おそらくは、山道を歩いているときに虚子が妙な幻覚を感じ、そのときに、地上のキノコと白昼の天の星を見たような幻想におそわれたということにちがいない。私はこの句に触れるたびに、日本民俗学の父、柳田國男が少年の時、家にあった古い祠の石の扉を開けたとき不思議な幻想にとらわれて多くの昼の星を見た、という逸話を思い出す。
 
 
 乗鞍のかなた春星かぎりなし          前田普羅
(のりくらのかなたしゅんせいかぎりなし)
 
 非常に率直に情景を詠んだ句である。春の星といえば「春霞」のかなたにおぼろになったような星を思い浮かべることが多いが、ここでは、高山の「乗鞍」そして「かぎりなし」が効いていて、そうではないことがすぐにわかる。星の数が限りない、というだけでなく、「かなた」という言葉があるので、星までの距離が限りない、という情景まで含んでいるようである。宇宙線観測所のある乗鞍(この句が詠まれた当時はまだなかったと思うが)、そして、「はるのほし」ではなく「しゅんせい」と詠むことによって、一種、宇宙論的な響きまで感じさせる。技巧を感じさせない名句である。
 
 
高嶺星蚕飼の村は寝しづまり          水原秋桜子
(たかねぼしこがいのむらはねしづまり)
 
 前句とならび、高山の星を詠んだ俳句としては名句中の名句であろう。しかし、ここの情景は少し違う。作者がいるのは人間が住んでいる山間の村であり、そして周囲に山が屹立している。人間の生活とそして自然の偉容、そして、そのすべてを包む星空、そして、最後に、作者は「寝しづまり」と一人一人の人間の生命にスポットを当てるのである。小さい世界と大きい世界のつながりを詠んで決して格調をゆるがせにしない秋桜子の骨頂が良く表れている。
 
 
 雪だるま星のおしゃべりぺちゃくちゃと      松本たかし
 
 これは実にわかりやすい俳句である。地上には雪だるまがあり、空では冬の星々がおしゃべりをし合っているかようにまたたいている。雪だるまはおしゃべりには参加せずじっと黙っているのであろう。メルヘンチックな子ども向けの句のようで名句と言うべきものか疑問に感じないでもないが、夢のような情景が瞬時にして目の前に解像度の高い鮮やかな画像として映るたかしの俳句が活きている。星の色まで見えそうである。そういう意味でやはり名句なのであろう。
 
 
 星空へ店より林檎あふれをり           橋本多佳子
(ほしぞらへみせよりりんごあふれをり)
 
 多佳子もたかしと同様、明瞭に色が見える夜の俳句を詠んでいる。明るい電灯を灯した店の前に大量の赤いリンゴが積まれていて、それが屋根と軒下の範囲におさまらず「星空」まではみ出しているというのである。地上にある店の物が空にあふれることはありえないのであるが、実に感覚としてよくわかり、電灯に照らされたリンゴと天の星が同時に目に浮かぶ。子どもの頃、田舎町の八百屋で感じたようななんとなく懐かしい風景である。
 
 
 妻二タ夜あらず二タ夜の天の川          中村草田男
(つまふたよあらずふたよのあまのがわ)
 
 何らかの事情で作者の妻が二晩家を留守にした。その一晩めにも二晩めにもそれぞれ天の川が見えた、というだけの内容である。妻が家を留守にした理由もたいして特別なものではなかったであろう。しかし、それが作者の生活に二夜だけの微妙な変化を与え、そして作者は二夜だけ普段は見ない気持ちで天の川を見上げることになる。おそらく妻が帰ってきた三夜めには忘れてしまうような些細な感覚が壮大な天体の天の川とともに詠まれている。
 
 
 おおわたへ座うつりしたり枯野星         山口誓子
(おおわたへざうつりしたりかれのぼし)
 
 最後の四句は、いずれも山口誓子の俳句である。「星の名句」ということでは、誓子は他の俳人と違って独特の地位にある。それは極めて多数の星の俳句を詠んでいるということである。他の俳人は自然の一部分として星を詠んだだけであったのだろうが、誓子は相当星座にも詳しかったようで、天文愛好家として俳句を詠んだように見受けられる。野尻抱影との共著である「星戀」には、数百の星の俳句が含まれている。
 ところがここに問題がある。誓子はもともと知的な明晰な俳句を詠む人であるので、彼の星の俳句はどうも理屈っぽい感じがして私には気に入らない。星のことを知らない人が見ると多少新鮮で良い味があるのかもしれないが、私のようになまじ星のことを知っていると初心者向けの天文教室の解説を聞いているようであまり芸術的には感じられない。これにはさらに理由があるらしい。俳句には「季重なり」の禁止というのがあって、季語は一つしかあってはならないというルールがある。通常、「星」というのは季語ではないのだが、星に親しんでいる者にとっては、星というのはそれだけで季節感覚を含んでおり、春の情景と星空の情景を同じ句に詠まれると「季重なり」のような感覚を受けるのである。だから、数百句あっても私が名句と感じられる句は残念ながらごく少ない。星座の専門家である野尻抱影は誓子の俳句を高く評価しているようなので(だからこそ共著ができた)、これは天文愛好家によっても人によって違うようである。
 
 上の句は、星座が日周運動で移動して枯野(陸地)から「おおわた」(海上)に移動したというわけで、やはり理屈ぽい句といわざるをえない。さらに、「座うつり」ということばを「星座」とかけている技巧も見え透いている。しかし、誓子の名句中の名句である「海に出て木枯帰るところなし」に通ずる句趣があり、その句同様、自然の厳しさと人間の歴史の厳しさの繋がりを感じさせる名句として選んだ。
 
 
 閂をさすむんむんと春の星            山口誓子
(かんぬきをさすむんむんとはるのほし)
 
 誰かが、門にかんぬき(扉が開かないようにする棒状の錠)を差している。頭上にはむんむんと潤んだ春の星がいくつかぽつぽつと出ている。春の夜の情景を詠んだ名句である。しかし、私には、「むんむんと」と「春の星」が付きすぎて季重なりのように感じられて気にかかる。「むんむんと」という語を使わずその雰囲気を表すことができればもっと良かったように思う。
 
 
 手を洗ひ寒星の座に向かいけり          山口誓子
(てをあらひかんせいのざにむかいけり)
 
 私が昭和でもっとも偉大な俳人として尊敬する誓子の句を図らずも二句まで批判してしまったが、これは天文愛好家の同感するような素直な名句ではないだろうか。手洗いに行ったのか(昔はトイレは屋外にあった)作者は野外で手を洗う。ふと空を見上げると満天の冬の星である。井戸水にぬれた凍りそうな手を拭くことも忘れて作者は一定の時間、星座に向かわざるを得ないのである。
 
 
 すばる星樓閣のごとくしぐれけり         山口誓子
(すばるぼしろうかくのごとくしぐれけり)
 
 最後は少し難解な句となった。すばる星とは言わずとしれたプレアデス星団のことであるが、樓閣(楼閣)とは何のことであろうか。誓子が抱影に語ったところによると、すばる星が時雨にかすんで、ぼーと遠くにある灯をつけない楼閣のように見えたということである。すばる星と楼閣、理知的でありかつ特異な感覚を持つ俳人でなければ思いつかないような取り合わせの感覚には恐れ入る。この説明を聞いてから改めて思い浮かべてみると、暗い天の高くかすむプレアデスの楼閣のかたちがおぼろげに見える。俳句の力は偉大である。
 
(終わり)