太陽系に惑星は何個あるか?
上原 貞治
 
 
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 いきなりですが、今回の核心となっている問題です。よく考えて答えてください。
 
現在、太陽系に惑星は何個知られているでしょうか?
 
 答えは5択とします。いちばん正解に近いと思われるものをお答え下さい。
 
(1)8個
(2)9個
(3)10個
(4)だんだん増えているので数は確定しないが500個以上はある
(5)「惑星」の定義がちゃんとされていないので、この問題は意味をなさない。
 
さて、おわかりになりましたでしょうか。
 
 すぐに答えをお見せしたいところですが、ここに答えを書くと、問題を考えている最中に答えが見えるといけないので、答えはもう少し下の方に書くことにします。
(これより下は問題の答えを決めるまで見ないでください)
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1.惑星の定義
 上の問題の答えは常識的に考えると(2)である。でも、これでは単純すぎるので他の答えも一応疑われることになろう。ご承知のように、太陽系には、大惑星、小惑星、彗星(それから流星も)などがあって、どの範囲を惑星と呼ぶかは客観的に定義できないと思われる。どのくらいの大きさでがあれば小惑星ではなく「惑星」と呼ばれるのかという定義はない。いや、大きさのみを基準にして惑星が定義されるべきかどうかも明らかではない。いずれにしても、このような定義は人間が便宜上行うものであって、科学的に客観的に指定されるべきものではない。
 では、正解は(5)であろうか。実はそうとも言えない。「惑星」の定義が明文的になされていないのは事実であるが、実質的にはちゃんとはっきりとした定義が存在していて「問題が無意味」ということは決してないのである。
 
 「十分な回数の観測によって太陽の周りを廻る軌道が正確に知られており、その大きさがかなり大きいことがわかっているにもかかわらず、小惑星のカタログにも彗星のカタログにも載っていないし、将来も載せられる予定のない天体。」
 
 これが、現在、比較的客観的に存在している惑星の定義である。消去法的な定義なのでシャキッとしないが、内容は極めて常識的である。多くの小惑星よりはるかに大きいのに小惑星としてリストアップされていないとしたらそれは「惑星」(あるいは「大惑星」)であるとしか考えようがないだろう。この定義に従えば太陽の惑星の数は9個である。よって、答えは常識どうり(2)でよい。
 
 この答えに異論がある人もあるであろう。しかし、私は「もっとも正解に近い答え」は(2)以外に考えられないと思っている。
 
2.現在、第10惑星は存在するか
 このような問題を考えるきっかけになったのは、最近発表された「冥王星よりも大きな惑星(エッジワース・カイパー・ベルトと呼ばれる小惑星群に含まれる天体)の発見」のニュースである。この発見と発表はカリフォルニア工科大学のブラウン(Mike Brown)博士らの研究チームによってなされた。
 この天体は、現在、2003 UB_313 と呼ばれている。これは小惑星の仮符号であるので、この天体は今のところ、小惑星として分類されていることになる。まだ正式には、「十分な回数の観測によって軌道が正確に決定された」という段階まで来ていないので、小惑星の登録番号も持っていないし固有名(言葉での名前)もつけられていない。
 しかしながら、この天体が冥王星よりも大きな天体であることは確実であるという。それなら、この天体が将来、小惑星ではなく惑星になる可能性があるのだろうか。これが、本論で議論したいことである。これは国際天文連合で決めることなので、どういう決定がなされるかはわからない。どういう決定になるかわかっている人は、現在世界中を探しても一人もいないかもしれない(わたしはそれさえ知らない)。それで、ここで私に出来ることは、議論というより単なる予想に近い。 
 
3.冥王星より大きければは惑星か?
 発見者たちは、「冥王星よりも大きい天体は惑星以外の何ものでもない」と主張している。この主張は一応もっともではあるが、これを全面的に受け入れる天文学者は多数派ではないであろう。 それは、次のような惑星に次のような条件を付加することを主張している人がいるからである。
 
「惑星とは、太陽系のその付近の空間において突出して大きな天体でなくてはならない」
 
 「その付近の空間において突出して大きい」という条件はかなり厳しいものであるが、これをはずすと、太陽から似たような距離に5つも6つも似たような大きさの天体があった場合、その全部が全部を惑星として認定しなければならなくなることをおそれたものであろう。
 ところが、この条件を付加されると、冥王星がはたして惑星と言えるかどうかがあやしくなる。水星から海王星までの8惑星についてはこの条件は問題なくクリアされている。ところが、冥王星は相当危ない。まず、冥王星は海王星と軌道が交差している。冥王星は海王星よりもはるかに小さいし、さらにまずいことに海王星の衛星のトリトンよりも小さい。また、冥王星の近くには、冥王星よりもほんの少し小さいだけの エッジワース・カイパー・ベルト天体がたくさんあるらしい。そして、ついに今回、冥王星よりも大きい天体がみつかったらしい。
 こうなると、第10惑星などと言っている場合ではない。へたをすると冥王星が小惑星に格下げになる危険さえあるのである。太陽系の惑星の数は8個になってしまうのであろうか。
 
4.冥王星の発見とその大きさ
  というようなわけで、第10惑星を認めるかどうかという議論をするときには、必ず冥王星が惑星として適格かどうかをむしかえさなくてはならなくなるのである。
 冥王星は1930年に発見された。これは、海王星以遠の新惑星捜索プロジェクトの一環として理論予想に従って捜索され発見されたのであるが、天体が小さかったことや距離が予想とは異なっていたことから、その発見の栄誉は理論予想にではなくじっさいにこれを見つけたトンボーに帰せられている。発見当初から、冥王星は新惑星ということでギリシア神話の神様のビッグネームであるプルートーの名が付けられ、冥王星という和名まで付けられた(中国語でも同じ)。発見当初は、その直径が水星よりは大きいと考えられていたので、惑星であることに異論はなかったが、これが小惑星のひとつではないかということは当時からすでに言われていた。それは、軌道が多少いびつな楕円であることや、冥王星ほどではないにしても太陽から比較的遠いところにある小惑星が当時すでにいくつか知られていたことによるのだろう。また、エッジワース・カイパー・ベルト天体が予想がまだ出されていなかった時代でも、1つ見つかったのだからもっとさがせば他にもあるだろう、という程度のことは考えられたに違いない。
 しかし、冥王星の発見後の60年間はそのような天体は1つも見つからなかった。だから冥王星の惑星としての地位は安泰になったかにも見えたが、実はそうではなかった。冥王星の大きさがどんどん小さくなってきたのである。もちろん、冥王星が実際に縮んできたわけではない。正確な観測がされるについて、冥王星の大きさの当初の見積もりは間違っていたということがわかってきたのである。
 1952年出版の野尻抱影著「天体と宇宙」によると冥王星の直径は5900kmとなっている(なお、この著者は、冥王星の和名「冥王星」の名付け親である)。一方、最近の観測では、冥王星の直径は2320kmであるからなんと半分以下になってしまった。ちなみに水星の直径は4879km、月の直径は3475kmである。冥王星は本当は月よりも小さかったのだ。
 これは冥王星の表面が氷で覆われていることと関係している。もともと冥王星の大きさはその明るさから予想されたものであったが、はじめは冥王星の表面の色を暗い目に見積もって計算をしたので、冥王星の大きさを過大評価してしまった。その後、冥王星の表面は光をよく反射する氷らしいことがわかってきて、冥王星の大きさはどんどん小さくなってしまった。現在はハッブル望遠鏡でその直径を直接観測しているから間違いない。
 冥王星の表面が氷であるということから、冥王星は彗星のひとつではないか、という疑問も湧いてくる。エッジワース・カイパー・ベルト天体が本質的に彗星と同じものであるかどうかは、彗星や惑星の起源に関する重要な問題ではあるが、形式的にはガスの放出やコマが観測されたものが彗星として登録されるわけであり、表面の組成によって彗星に分類されるわけではないので、氷の表面を持つからといってただちに惑星ではなくなるわけではない。 
 
5.冥王星は小惑星に格下げされなかった
 上のような議論が1990年代、エッジワース・カイパーベルト天体の発見とともにむしかえされ、冥王星が惑星から転落させられかねない危機が生じた。表向きの理由は「冥王星を小惑星カタログに加え、今後の観測や軌道改良の便宜をはかろう」というものであったが、とにかく冥王星は小惑星の1つとして扱おうという提案が国際天文連合に出された。これが、冥王星を長年のあいだ惑星として親しんできた人々に与えたショックは意外なほど大きかった。とくに、冥王星を発見したローウェル天文台はこれに真っ向から反対した。そもそもローウェル天文台は、新惑星の発見をその設立目的のひとつとして建設された天文台だったのである。ローウェル天文台にとっては栄光の歴史を抹殺されるか、という大問題であった。国際天文連合はこれらの声に抗することは出来ず、「我々は冥王星の惑星としての地位を変更しようという意図はない」という声明を発表せざるを得なかった。そして、冥王星を小惑星カタログに加えるという案も結局取り下げられた。「冥王星の惑星としての地位を変更しようという意図はない」というのが本当なら、今後の観測や軌道改良の便宜のためだけに冥王星を小惑星カタログに載せるというのは、あまりにも根拠薄弱とされたのであろう。観測や軌道改良は小惑星カタログに載っていようがいまいが同じように可能だからである。かくして、冥王星の惑星としての地位は事実上確認されたのである。
 
6.2003 UB_313は、惑星となるか
 さて、ここから先は完全な予想である。どうなるかは少なくとも来年(2006年)の国際天文連合の総会までわからない。おそらく、その総会でも最終決定はされないであろう。何らかの方向付けができるかさえ明確ではない。
 かつて冥王星を小惑星に登録するかという問題が出たとき、国際天文連合は結局オリてしまい現状追認になったという経緯からして「冥王星を惑星として認めない」というような結論は、遠い将来はともかく、現在の時点では明言しにくいだろう。そうすると、冥王星より大きい惑星についても「それが惑星でない」と言える合理的な理由は何もなく、さりとて大きさだけですんなり認めてしまうわけにもいかず、たいへん苦慮する事態が予想される。
 そういうときは「問題の先送り」が便利かもしれない。理由もじゅうんぶん成り立つ。「そのへんの太陽系の状況が十分わかるまで先送りにする」ということにするのである。また、別の表現の仕方として「惑星かどうかの判断は国際連合は現時点では公式にはしない(一般の慣習にまかせる)」ということになるかもしれない。
 しかし、たいした議論もなしに先送りしようとすると、今度は発見者から不満が出るだろう。彼等が早い時点で惑星として認めてほしいと思っていることは想像にあまりある。結局は、惑星と認めるか完全にオリてしまうかの2つしか選ぶ道はないのかもしれない。前者の場合は、なかばやけくそで(失礼!)「冥王星より大きいものは何でも惑星」という基準が設定されることになるかもしれない。後者の場合は、発見者たちは自分の判断でこれを第10惑星として認め、この認識を社会全般に広めようと努力するだろう。しかし、世界のすべての人が彼等に従うわけはないので、太陽系の惑星の個数は人によって違う(あるいは本によって違う)ということになるかもしれない。その時は、いちばん最初の問題の答えは(5)に変更ということになる。その場合、小惑星カタログの問題はどうなるのか? これも逃げ道はある。小惑星カタログの題名を「小惑星、海王星以遠天体カタログ」に変更してしまえばよいのである。そして番外として冥王星も載せればよい。そうすれば、このカタログに載っているからといってそれが小惑星であるということにはならない(これは私のアイデアです。国際天文連合の委員の人、見てますか!?)
 
 もし惑星ということになれば、太陽系の惑星は10個となり、この「新惑星」にはそれなりに「偉い」神様の名前が付くだろう。惑星として公式に認められない段階であっても、小惑星の場合に倣って名前は発見者が提案することになるだろう。提案される名前はまだ公表されていないが、すでに決まっていると発表されている(現在、非公式に出回っている名前は、ただのニックネームであり、それが最終的に名前になることはない)。そして、成り行き上、小惑星と同じ手続きで先に決められてしまうと予想する。大惑星のようにギリシア・ローマ神話から採っているのか、他のエッジワース・カイパー・ベルト天体のように諸民族の創世神話から採っているのかは現時点ではわからない。多少の物議を醸すかもしれないが、小惑星の場合はもちろん、惑星の場合であっても発見者の提案は最大限の尊重を受けるだろう。
 
 さらに、惑星と認められれば、日本語の名前(漢字の名前)も適当な翻訳によってつけられることになるだろう。これは、漢字文化圏で訳語が公募されることになるかもしれない。日本と中国で摩擦が生じないようにする配慮も必要だろう。このへんはどうして決めるのかはわからないが、とにかく、水金地火木土天海冥※ ということになるだろう。多少楽しみである。
 
 最後になったが、冥王星やエッジワース・カイパー・ベルト天体の発見の価値は、このような惑星・小惑星の分類上の裁定によって決定づけられる性質のものではない。この決定はたぶんに政治的なものになる可能性がある。しかし、発見の価値は、天体が惑星に分類されたかどうかによってではなく、その天体が我々の太陽系や宇宙の認識にどのような影響を与えたかによって測られるものであることは疑いの余地がない。そして、現実に冥王星やエッジワース・カイパー・ベルト天体の発見の価値が分類の議論に関係なく将来ともに揺らがないことはすでに保証されているのである。
 
(おわり)