「金星の太陽面経過」を見る
                          上原 貞治
 
 
1.動機
 「これだけは決して見逃すわけにはいかない。」 日本で130年ぶりといわれたこの現象は、私にとっても30年来ずっと見たいと思っていた「超大物」の天文現象であった。私はこの現象を自宅で見たけれども、皆既日食のために大枚をはたいて海外に出かけたくらいのプレッシャーがあった。雨や曇りで見られないのは仕方がない、しかし、自分の不都合で見られないということは絶対に避けねばならない。とりあえず当日の午後の休暇届を出した。
         
2.減光方法
 当日はベタ曇りだった。しかし、時々日差しが射す可能性は残っていた。雲を通して太陽が見られる可能性もあった。こういう場合に問題になるのが減光方法である。私は、メインの観測方法を20cm反射による投影法と考えていた。しかし、雲を通して裸眼で見られる程度まで減光した太陽であれば、その投影像がスクリーンに映るとは思えない。もちろん、太陽を見ても金星はおそらく肉眼でははっきり見えないだろう。何らかの減光方法と拡大方法を用いて直視するしかない。
 それで、別の方法として、25mm6〜12倍の単眼鏡に種々の濃さのフィルターをつけて試すことにした。といってもテストするのではなく、ぶっつけ本番で試すのだ。使えそうな手元にある「フィルター」は、日食ビュアー(金属を塗布した眼視用のサングラス)、黒くなったカラーフィルムのネガ、接眼レンズ用のムーングラスである。日食ビュアーは完全な晴天時のためのものだが、あとの二つは晴天時には危険で使えず、相当に雲が厚いときのためのものである。
 
3.直前に日が射す
 午後になっても相変わらずベタ曇りであった。しかし、雲は比較的高く、一様な曇りかたではなかったので期待は持てた。そして、12時半に一時的に雲の隙間から太陽が姿を見せた。私は、4時間以上もねばればちょっとくらい見られるに違いない、という確信を持った。
 13時過ぎにも、時々、日が射した。それで、単眼鏡のテストをすることにした。裸眼でまぶしくない程度に雲で減光されているときでも、単眼鏡ではまぶしくて見ていられないし、とつぜん雲が切れるとこれでは危険である。やはり口径25mmをなめてはいけない。何からのフィルターをつけたままにしておく方がいいだろう。カラーフィルムのネガは赤外線を通すので使ってはいけないといわれている。白黒フィルムなら良いのだが、そんなものは今時すぐには出てこない。雲で減光されている時に使うのだからカラーでも問題あるまい、と試してみた。なるほど、太陽がよく見えるが、20秒も使っているうちに目玉が熱く感じるようになってきた。やはり赤外線のためであろう。これもめったなことでは使えないと思った。
 さて、現象開始時刻の14時11分が近づいてきたので、北に面したベランダに望遠鏡を出した。14時直前には、数分間、太陽が顔を出し続けた。その結果、太陽がまぶしくないほどに雲で減光されている場合でも、スクリーンを接眼レンズのすぐそばまで近づければ、太陽が何とか投影板に映ることが確認できた。さすがは20cmの威力である。接眼レンズは低倍率用の20mmを使うことにした。念のため自動追尾も接続した。これで何とかなるだろうと思った。
 しかし、14時02分、現象の9分前にして太陽は雲に姿を隠してしまった。
 
4.太陽はなかなか出てこない
 相当厚い雲に隠れてしまった。しかし待つしかない。すぐに日は射すだろうと、思って待っていたが、今度はなかなか出てきそうにない。ずっと太陽があるはずの雲の一角を眺めていたが、現象開始時刻の14時11分になっても太陽は全く見えない。何という不運なことだろう。さっきまで晴れていたのに。
 私がいちばん見たいと思っていたのは、もちろん、金星が太陽に完全は入り込む瞬間(第2接触)である。それは14時30分である。それまでに太陽が見られればいいとまだ気楽に考えていた。しかし、このまま日没までずっと見えなければ......、これは、悔やみきれないほどの不運となるだろう......
 14時30分になった。第2接触はあきらめたが、そのころ雲が薄くなりはじめた。そして、一瞬、太陽の縁の円弧が見えたような気がした。しかし、それは間違いだった。太陽は、その1分後、別のところに円い姿を現したのである。「出た!」というわけで、望遠鏡の自動追尾にスィッチを入れ、太陽のほうに向けようとしたとたんに、また、太陽は姿を隠してしまった。出ていたのは、ほんの10秒くらいだっただろう。
 
5.ついに金星の姿を捕らえた
 とにかく10秒のチャンスであっても1秒のチャンスであっても絶対に捕らえて見ないといけない。今度は望遠鏡のファインダーを持って待機することにした。そして、ついに14時32分、再び、太陽が姿を現した。すばやくファインダーを向けるが、太陽に向かってファインダーを覗くわけにはいかない。手のひらに投影するのである。普段ならファインダーの影をつかってファインダーの中央に入れるのだが、影が淡くてなかなかそうもいかない。10秒以上の苦戦の末、ファインダーに太陽を入れて、20cmの方を見たが、太陽は見えてこない。視野の縁が光っているが太陽像はなかなか入ってこないのである。私は焦ってしまった。ここでまた曇ったらどうしよう。
 ここで、私は肉眼で太陽のほうを見た。太陽はまぶしく輝いており、まわりの空は相当広い範囲にわたって薄い雲しかない。ラッキー。1〜2分は大丈夫だ。
 ここで大きく深呼吸をして、ファインダーの中心に入れることに神経を集中した。すると20cmの方にもあっさりと太陽像が映った。「金星はいるか」とはらはらしながらピントを合わせると、金星があった。太陽の縁にすぐ近いところにいた。14時32分であった。ついに見られたのである。まだ、第2接触の直後という感じであったが、ブラックドロップ現象らしきものは起こっていなかった。太陽面を薄い刷毛ではいたような雲がすごい速さで通り過ぎていく。しかし、真っ黒な金星像はびくともしなかった。
 とにかく、投影像の写真を撮った。3枚の写真を撮ったところでまた曇ってしまった。この間、わずか2分であった。
 
6.日没までねばる
 2度目のビッグチャンスはすぐに訪れた。今度は、透明度が良かったので、直視に挑むことにした。どうも投影板では直接見たという実感にいまいち欠ける。それで、単眼鏡を12倍にして、これの対物側に日食ビュアーを貼り付けたもので直視してみた。雲を通してはいたものの、1〜2分間ピント合わせをねばると確かに直視でも見ることができた。ここで私はじゅうぶん満足した。第2接触は見られなかったが、これは、8年後にもう一度見ろ、ということであろう。次に近眼用のメガネと今や貴重品となった接眼レンズ用のサングラスを使って肉眼で見ることを試みたが、太陽面を雲のまだら模様が走り続け、金星をはっきりと見ることはできなかった。5分間でまた曇ってしまった。
 次のチャンスは、15時35分頃に訪れた。今度は投影板上の金星像をゆっくりと見た。また、写真撮影をした。できれば、高倍率にしたいと思ったがそんな暇はなかった。やはり6分ほどで完全に曇ってしまった。
 16時10分に2分ほど見られたのが最後のチャンスであった。その後、太陽は、また厚い雲に隠れてしまい、18時50分の日没まで2度と姿を見せることはなかった。
 
 合計でも、わずか15分くらいしか見られなかった。しかし、私は、金星の太陽面経過を十分堪能した、という気分になった。この現象は、私が子供の頃からずっと楽しみに待っていた最後の天文現象と言えるものだったので、その夜は、一種の目標喪失のような気分すら味わうことすらできた。
 
  以下は、撮影した写真である。どの写真も雲で減光されているためコントラストが悪くなっている。
 
 共通データ:
 2004年6月8日 金星の太陽面経過
20cm反射(f=800mm)、LV20mm、投影法、NikonF601、標準ズームレンズ、 フジカラーSuper400、プリント、スキャナ
撮影:上原 貞治
 
撮影時刻:
1,2,3: 14時33分
4: 14時45分
5: 15時31分
6,7,8,9: 15時38分
10: 16時11分