日本製ケプラーの第3法則?
        「麻田翁五星距地之奇法」を読む (第3回)
                             上原 貞治
 
 6.日本における「天動説」と「地動説」
 
 前回までに述べた通り、「麻田翁五星距地之奇法」における「麻田剛立の法則」=ケプラーの第3法則の記述は、次の点で特異なものとなっている。
 
 天動説による説明と地動説による説明が併記されている。そして、記述されている力学的側面からすると地動説による説明の方が有利であるにもかかわらず、実際には、天動説による説明を「主」とし、地動説による説明を「従」としている。
 
 これは、五星距地之奇法における大きな謎である。この謎を説くためには、まず、当時の日本において地動説がどのように受け入れられていたかを考えなければならない。
 日本における地動説は、西洋でコペルニクスが提唱し、その後ガリレオ、ケプラー、ニュートンの学説の支持を得て確立されたものが、18世紀後半にオランダ人あるいはオランダ語の書物(蘭書)を通じて入ってきたものとされている。そして、オランダ通辞の本木良永が蘭書の翻訳書中で紹介したものが国内では最初といわれている。同じくオランダ通辞の志筑忠雄がケプラーの3法則を含めて地動説を論じた暦書(「暦象新書」)を発行したが、それは、麻田剛立の没する前年(1798年)であり、麻田の健康状態や周囲の状況を考えると、麻田はその数年前(1795年頃?)に「五星距地之奇法」を見つけていたはずである。
 日本での最初の「地動説」の受け入れられ方は、かつての西洋においておこったこととは全く違った。 そもそも西洋では、「天動説」、「地動説」といった言い方はしない。これらの言葉は日本で行われているものであり、西洋ではそれぞれ「地球中心説」、「太陽中心説」という言い方をしている(あるいは、提唱者の名を取って「アリストテレス説」、「コペルニクス説」と呼ばれていた)。ここでいう、「中心」というのは、「回転運動の幾何学的な中心」というような生やさしい意味ではない。これが「宇宙の中心」の意味であったからこそ、地球こそが宇宙の中心にないといけないという教義を絶対視したカトリック教会は、太陽中心説=コペルニクスの説を断固として排斥したのである。
 西洋におけるような教義的な対立は日本には全く持ち込まれなかった。日本では、すでに長い間キリスト教は禁制であったし、また、逆に地動説を喧伝しないといけないような背景も、少なくとも麻田剛立以前の時代にはなかった。人々は、地動説をただの「西洋の奇説」として淡々と受け入れたのみであった。そして、麻田剛立学派においてはこの状況はもっと極端であったと考えられる。
 
 
7.麻田剛立学派における「天動説」と「地動説」
 
 はっきりいって、麻田剛立ら日本の暦算学者にとっては、天動説であろうが地動説であろうが、本質的にはどうでもいいことだったのである。暦の計算は見かけ上の(つまり、地球上から見たときの)太陽と月の方向さえ計算できればよいのである。この計算においては、天動説と地動説は、数学的な座標系の違いでしかなく、なんら本質的な意味を持たない。また、見かけの運動は、観測者の座標系が違っても「座標変換」によって難なく解決できる。このことを理解していた麻田剛立らにとって、「天動説」と「地動説」の違いは、まさに「どちらが動いている座標系を採用するかだけの違い」であったと言ってよい。
 このように考えると、この議論は「宇宙の中心」とは何の関係もなくなる。駅のホームで通過列車を見ていると列車が猛スピードで駅を通り過ぎていく。一方、列車に乗っている人から見ると駅が猛スピードで後ろに去っていく。しかし、駅にいる人も列車に乗っている人もそれが当たり前の現象と考えており、駅と列車のどちらが宇宙の中心であるかということを考えたりはしない。
 こういう場合に、人々は運動の現象を説明するのにどの座標系を採用するのであろうか? もちろん原理的にはどの座標系を採用してもよいのであるが、通常行われている手法あるいは計算がもっとも簡単にできる手法が、ふつうは採用される。当時の日本の暦算天文学にあっては、それは疑いもなく観測者のいる地球を止まっているとする「天動説」であった。だから、「五星距地之奇法」の著者は、天動説による説明を「主」として選択したのである。
 
 
8.惑星運動の法則の力学的側面と地動説
 
 しかし、問題は以上にとどまらなかった。太陽と月の運動だけなら、天動説の説明だけを付せば、地動説にふれる必要は全くなかったのであるが、惑星が登場するとそうはいかなくなるのである。
 惑星まで考えると、明らかに、地動説は座標変換でシンプルな天動説に移れない。つまり、天動説で惑星運動を十分な精度で表現するためには、さらに副次的な軌道を惑星運動に導入しすることになる。これが、最初にコペルニクス説の比較的有利な点とされたのである。さらに、その状況がケプラーの第3法則(諸惑星において(周期)/(軌道半径) の比は一定)の発見に及んで決定的なものになったことは前回に紹介した。そして、その状況は「五星距地之奇法」の著者によって正しく認識され、この短い文書にこれ以上ないほど明確に記述されていることも述べた。ここにいたって、数学的には優劣のなかった天動説と地動説が、力学的側面を考えることによって地動説が優位に立つことが明らかになったのである。
 こうして、間重富の力学的説明に重きをおく「五星距地之奇法」の著者は、地動説による説明を文中に書き入れなければならなくなったのである。彼らはこれを「従」としたつもりはなかったであろう。かくまで執拗な地動説の説明の割注は、こちらこそ第一に行いたい説明であったことの主張のように受け取られる。「五星距地之奇法」における地動説についてこのような受け取り方をした研究者はこれまで少なかったかもしれないが、私にはこのようにしか考えられない。また、これについては次回に述べるが、彼らが徹頭徹尾従来の天動説に固執したままケプラーの第3法則を見出したということはほとんど考えられず、彼らは少なくとも一時的には地動説に基づいて惑星運動の研究を進めたに違いないのである。
 確かに「五星距地之奇法」は、形式的には天動説による説明を採用している。これは、それまでの伝統に従ったものであろう。しかし、その心まで読めば、著者にとっても読者にとっても重要なのは地動説の説明であることが明らかになるのである。彼らは、従来の方式を形式上は維持しつつ、実質的には新説を導入するだけの心の余裕を持ってこの書を書くことができたのではないか。このようなことを思いつく者が、同時の麻田剛立一門にいたかという疑問になるが、それがいたのである。それは高橋至時である。麻田は彼が独自に開発した「消長法」で暦の計算の諸定数を歳差の周期で変化する変数とした。高橋はこの消長法を採用した「寛政暦」を間重富とともに完成させたが、のちに西洋天文学から太陽系外宇宙の構造を学んだ時に、歳差は地球の運動に起源するはずだとして師の計算の原理を結果的に否定しているのである。「五星距地之奇法」の内容が成立したのはもっと早い段階であろうが、その内容は伝統的な暦算天文学に基づきつつ「宇宙論的思考」も採り入れるという高橋の考え方と共通している。
 
 
 9.本文後半の読解(数値について)
 
 さて、本文後半の読解に進もう。
 本文全文は第1回に載せたが、便宜上、本文の後半部分をここにに再掲することにする。(本文は、「大分県先哲叢書・麻田剛立資料集」のページ「麻田翁五星距地之奇法(本)」からとった。読みやすくするため、上原が、カタカナを平仮名に改め、濁点と句読点を補った。漢文調は読み下し、二行割注は括弧内に入れて表現した。漢字も適当に置き換えた。)
 

 
日一周天(地動の説に由れば地一周天とす)一と為す
日本天半径(地動の説に由れば地本天半径也)一と為す
 或は水星を用て一とし土星を用て一とするも其法皆同じ
土星一周天、日二十九周四二一七余、(合伏より合伏に距る日分秒と日の平行とを用て之を得る。下四星亦同じ)之を自乗、立方に之を開き、九五三〇四二を得る、即本天半径(次輪心地心を距る数なり。地動の説によれば星日を距る数也)。
木星一周天、日十一周八五六〇余、之を自乗、方立[ママ]に之を開き、五一九九四七を得る、即本天半径。
火星一周天、日一周八八〇七三余、之を自乗、立方に之を開き、一五二三六五を得る、即本天半径。
金星一周天、日〇周(一周に満たず)六一五二一余、之を自乗、立方に之を開き、〇七二三三五を得る、即本天半径。
水星一周天、日〇周(一周に満たず)二四〇八五余、之を自乗、立方に之を開き、〇三八七一一を得る、即本天半径。
 
 右は唯其法を記すのみ。細微の数を必とせず。
 

 
 ここで述べられていることは単純明快である。以下、地動説の説明の方を採用して読解すると、
 
(1)土星〜水星の5惑星が太陽を1周するのに要する時間を 地球の公転周期(すなわち1年)を単位として表す。
 
(2)それらの値を平方して立方根をとる(すなわち2/3乗する)と、惑星の軌道半径が得られる。
 
(3)惑星の公転周期は、会合周期と(地球から見たときの)太陽の日々運動から計算できる。
 
(4)ここでは、計算方法を示すことが目的であり、数値の精度は問題としていない。
 
 これだけのことである。ここに書かれている論法や計算方法は素直なものであるが、より詳しく見ることにより、この内容が彼らの従来の知識に基づいたものか西洋からの知識の導入によるものかの手掛かりを得なければならない。「数値の精度は問題としていない」と言われても細微の数値にこだわらざるを得ない。
 
 
10.数値の根拠についての検討
 
 表で、五星距地之奇法に出ている数値とその計算の再現を行う。ここでは、土星から水星の順(遠い方から近い方へ)という順に並べられている。これは、近い方から遠い方へ(水星から土星へ)並べる西洋流の流儀とは異なっている。彼らが東洋流の順番を採用していることをまず指摘しておく。
 
     表: 五星距地之奇法に出ている数値とその計算の再現

惑星
「五星距地奇法」 公転周期「五星距地奇法」  軌道半径会合周期 (日)

公転周期
(太陽年を採用)
公転周期
(恒星年を採用)
公転
周期
土星 29.4217 9.53042 378.09 29.4279  29.460929.53
木星 11.8560 5.19947 398.88 11.8580  11.863111.862
火星 1.88073 1.52365 779.94 1.88074  1.880811.8809
金星 0.61521 0.72335 583.92 0.61520  0.615190.6152
水星 0.24085 0.38711 115.88 0.24085  0.240850.2409
 
 表で、最初の2列の数値は、五星距地之奇法に記されている数値である。公転周期は、地球の公転周期を単位にしており、軌道半径はその2/3乗(こちらは純粋な計算値)である。有効数字の範囲では計算は正しく計算間違いや書写の間違いがないのはさすがである。
 この公転周期は会合周期から計算されたとされているがどうやって計算したのであろうか。地球と他の惑星との会合周期の逆数は、それぞれの公転周期の差の逆数に等しい。すなわち、|1/(惑星の公転周期)−1/(地球の公転周期)|=1/(会合周期)の関係がある。これを逆に解くと惑星の観測から得られる会合周期から惑星の公転周期が求められる。このような計算法は簡単な算数の問題であり、彼らはこのような計算をたやすく独力で行うことができたであろう。
 しかし、ここで問題になるのが地球の公転周期である。現在の天文学では、地球の公転周期として、「太陽年」と「恒星年」の2種類がある。 太陽年は、春分から春分までの期間に対応するもので365.24219日であり、季節の移り変わりはこの周期に起源する。そして、この周期は、現在の太陽暦(グレゴリオ暦)での1年の根拠となっているものである。一方、恒星年は、宇宙に対しての地球の運動方向が1周する周期であり、365.25636日である。こちらは、地球の運動の力学的な特性を示している。両者の差は、「歳差」と呼ばれる地球の自転軸の恒星点における方向の変化によって起こる。
 麻田剛立よりずっと以前から東洋の暦算学者は、太陽年と歳差について知っていた。だから、恒星年について間接的には知っていたことになるが、東洋の暦算においては、恒星年というものの積極的な意義(力学的な特性)は理解されていなかったと考えられる。ケプラーの第3法則は力学的な意味を持つ法則であるから、ここでは「恒星年」を用いて会合周期から公転周期を計算せねばならない。それは、恒星宇宙がより「絶対静止空間」(ニュートン力学の用語。 現在の物理学でいうところの「慣性系」に相当する)に近いからである。しかし、彼らが採用したのが「太陽年」であったことが、以下に述べるように表から明らかになる。
 彼らが採用した会合周期の数値については不明であるので、現在の測定値を第3列に採用した。この会合周期に(地球の公転周期=太陽年)の仮定で計算した結果が第4列であり、これに恒星年を採用すると第5列になる。五星距地之奇法の公転周期(第1列)に近いのは明らかに第4列(太陽年を採用)の方である。また、麻田は別の暦書「実験録推歩法」に五星の定数を掲げているが、それから導かれる土星、木星、火星の公転周期は第1列の数値と全く同じである。これらの定数がこの暦書にいつ書き込まれたのかについてははっきりとしないが、天明六年(1786)に成立したと言わている原著にすでにあったとすれば、それは五星距地之奇法が書かれるよりずっと以前のことになり、天動説に基づく計算のための数値が用いられたということになる。
 もちろん、現在の精密な観測による公転周期(最も右の列)は恒星年を用いた方(第5列)に近い。つまり、五星距地之奇法の惑星の公転周期は「誤った計算法」で得られた数値なのである。これは、彼らが「数値の精度は問題としていない」ということとは関係がない。彼らは一流の学者であるので、精度の良くない計算(つまり概算)を行うことはあっても、わざわざ間違った原理に基づく計算はしないはずである。彼らはわざと誤って太陽年を用いたのでは決してない。彼らは、「地動説」における歳差についての力学的理解が十分でなかったので、「天動説」の従来の方法で計算を行ったと考えられるのである。
 また、天動説の定数から地動説における惑星の軌道半径に対応する「本天半径」を導出することもできる。「五星距地之奇法」には計算と比較すべき軌道半径の数値データは載せられていないが、割り注にある「次輪心」という天動説のシステムの小軌道の大きさからそれを計算できるのである。「実験録推歩法」の数値を用いるとして、軌道半径は、外惑星に対しては「次輪半径の逆数」つまり、土星:9.591,木星:5.1827、(火星は具体的数値掲載なし)、内惑星に関しては「次輪半径」そのものつまり、金星:0.722485、水星:0.385 となる。これらの数値は不正確なものであるが、表の第2列と比較してケプラーの第3法則を発見するためには十分なものであることがわかる。
 以上のことにより、五星距地之奇法は、物理的説明には地動説を、計算と形式には天動説を採用して書かれていることがわかる。
 
  次回で連載は完結の予定である。
 
 
                                  (つづく)