ペルセウス座流星群を見て感じたこと


1996年8月
上原 貞治

 今年は,すばらしい「流れ星の夜」に出会うことができました。     
どうもありがとうございました。                    
 なつかしい皆さんやお子さんたちとともに、美しい星空を見ることができ、
この上ない楽しい時を過させていただきました。             

 深夜3人だけになってから、田中邦明さんが「我々は、長いこと星を見てき
たように思っているが、ペルセウス座流星群は、何千年も昔からあるのだろう
...」という様な意味のことを言われました。             
それを聞いて私は、「じゃあ、ペルセウス座流星群はわれわれ人間にとって何
なのか?」ということを考えてみたくなりました。            
以下は、それについて考えてみた寝言のような話ですので、あまり本気になら
ずに読んで下さい。                          

 「ペルセウス座流星群とは何なのか?」物理的には、それは、109Pとい
う符号を持つ周期135年の彗星スウィフト・タットル彗星がその軌道付近に
残した無数のチリが、近くを通りかかった地球の大気圏に突っ込み、発光した
ものであります。                           
しかし、ここで問題にしているのはそういうことではなくて、「われわれ人間
にとって何なのか」ということです。                  
まあ、人間にとっても、チリが光ったものには相違ないのですが「それをいっ
ちゃあおしめえよ」。                         

 ペルセウス座流星群はいつからあるのでしょうか?           
 マースデン氏らが編集している彗星軌道カタログによると、”スウィフト・
タットル彗星”(以下、ST彗星と記す)は、すでにBC69年に出現が中国
で記録されているようです(「前漢」の時代ですな)。          
もっとも、ST彗星の正確な軌道や周期がわかったのは、ごく最近のこと(19
92年の出現以後)なので、この中国の記録にある彗星が実はST彗星であると
いうことがわかったのもつい最近のことです。              
それで当時のST彗星の軌道がわかるのですが、それは現代のST彗星の軌道
と大きくは違わないので、このころすでにペルセウス座流星群は存在していた
と考えられます。                           
実際、彗星や流星群の観測史に詳しいG.Kronkによると、AD36年の
やはり中国の記録に「100個以上の流星が明け方に飛んだ」というのがあり
これがペルセウス群の最も古い観測記録だということです。        
これより以前からペルセウス群はあったのでしょうが、歴史的文献によってそ
れを証明することはできません。                    

 「セント・ローレンスの涙」というのを皆さんはご存知ですか?     
これは、昔、ヨーロッパで、まだ流星群というものが発見されていなかった頃
のペルセウス群のことなのです。                    
聖ローレンスの祭日というのが、8月10日にあったそうで、そのころ流れ星
が多く出るということは、経験的に知られていたようです。        
聖ローレンスとは、どういうイメージの聖人なのか知らないので当時の人々が
どういう思いで「セント・ローレンスの涙」をながめたかはわかりませんが、
なんとなくロマンチックで、かつ、人生のはかなさを感じさせる感銘深い名だ
と思います。                             

さきのG.Kronkによると、ペルセウス座流星群が1年の周期を持って
いることがはっきりと指摘されたのは比較的新しく1835年のことだそうです。
ST彗星の1862年の出現の時に計算された軌道から、ペルセウス群との関連が
指摘されるわずか30年前のことでした。                
流星群なるものが初めて学問的に注目されたのは、やはり、1833年のしし座流
星群の大出現のときでしたから(別稿参照)、この約30年で、流星群につい
ての学問は突然誕生し大進歩を遂げたわけです。             

 では、日本の一般の人は、流星を何と見ていたのでしょうか?      
よく言われるのは、流星が飛ぶと人が死ぬ、あるいは、人が死ぬと流星が飛ぶ
ということです。                           
 前者は、おもに、特別大きな流星、すなわち「火球」について言われてきた
ことです。                              
NHKの大河ドラマ「秀吉」で、信長が本能寺の変でやられる前に火球が飛ん
だのを遠征中の秀吉らが見たというのがありました。           
もちろん、これは現代の脚本家の勝手な創作に違いありませんが、いかにもあ
りそうで強く印象に残る効果的な演出と言えると思います。        
また、私の祖母がかつて話してくれたところによると、祖母が夜一人で外出中
大変明るい流れ星が飛んだのだそうです。                
それを見て祖母は仰天し、急に家族の安否が心配になり急いで家に引き返した
ということです。                           
幸い家のものは無事でしたが、心配になる気持ちはわかるような気がします。
まあ、織田信長ならともかく上原家程度を相手にいちいち火球が飛んでくれる
のは御苦労なような気もしますが。                   
 後者の「人が死ぬと流星が飛ぶ」というのは、イメージとしては一般の人が
死ぬと普通の明るさの流星が飛ぶ、ということでしょう。         
これは、星が飛んだから誰か死んだのだ、という程度のたわいもない迷信で、
こんないじましい説を本当に信じる人は昔においてもそんなにはいなかったの
ではないでしょうか?                         
相手にしたくなくなるほど単純な説であります。             

しかし、これに関して私はふと気づいたことがあります。        
普通の流れ星でも、1個2個ではなく、短時間にたくさん現れたら人々は何と
思うでしょうか?                           
 私はかねてより、年間で最高の出現数をほこるペルセウス座流星群は、ちょ
うど盆休みの頃にあって、皆さんたちといっしょに眺めることができる、なん
と運の良いことだろう、と思っていました。               
でも、これはひょっとして「運が良い」のではなくて、お盆とペルセウス群は
関係があるのかも知れません。                     
流れ星が死んだ人と関係あるのなら、それがたくさん現れる季節は、冥界から
死んだ人が訪れる季節と考えてもよいでしょう。             
 つまり、お盆は、ペルセウス群で流れ星が多くなる季節に設けられたのでは
ないでしょうか?                           
お盆というのは、元来、死者を供養するために、お釈迦さんの弟子である目連
という偉い坊さんが始めたらしいのですが、どうして年1回この季節になった
のかの説明がされているのかは、わたしは全く知りません。        
ご存知の方は御教授下さい。                      
 年に一度だけ行なわれる年中行事のほとんどは、農業あるいは天文に関係が
あるといえると思います。                       
 かつて、野尻抱影氏の著書で、お盆はスバルの南中と関係がある(明け方に
南中することをさしているとおもわれる)という説があるというのを読んだこ
とがあります。                            
 私の説はそれほど突飛だとは思わないのですが。            
 しかし、昔は、お盆は、旧暦の7月15日に行なわれていました。    
これは、新暦(現行暦)では、年によって違う日になり、だいたい8月20日
前後の1か月間くらいのどこかになるのですが、旧暦の7月15日はかならず
満月でありまして、流れ星を見るにはまったく向いていないのです。    
これがこの説の最大の弱点ですが、ここでは、満月の方が夜明るくて、迎え火
や送り火を焚く作業に便利であったから、わざわざ満月の夜が選ばれた、とい
う苦しい言い訳をして逃げておきましょう。               

 でも、流れ星を人の死と結びつける説より、「流れ星に願い事をとなえれば
かなえられる」という話の方がずっといいですね。            
これは、日本に昔からある言い伝えなのか西洋からはいってきたものか知りま
せんが、いいものはいいです。                     
私の祖母などは流れ星が飛んでいる間に「読み書きそろばん」と唱えると勉強
がよくできるようになるといっていました。               
(私は、祖母から昔の天文関係の話をいろいろと聞いています)。     
これは、なんとなく日本的でしょう。                  
小さい時からちゃんと唱えておけば良かった。              
 ひとこと蛇足を加えますと、ペルセウス群は飛ぶのが速いので、あまり願い
事向きではありませんよ。                       


 最後に、私にとって流星とは何かを考えてみました。          
 なかなか答えを出すことはできなかったのですが、どうやら、私の友人であ
ったらしいということがわかりました。                 
流れ星に出会うたびに、わたしはひととき、現実の複雑な事情もいやなことも
忘れ、さわやかな、そして、なつかしい気分にさせられ、そして、また会いた
いと感じるのが常です。                        
そう考えると、毎年夏休みに会えるというのもちょうどいいと思います。  

 どうもしょうもない話につきあって下さってありがとうございました。  
また、今後もすばらしい「流れ星の夜」を皆さんと一緒に過したいと思ってい
ます。よろしくお願いします。                     
そして、10年後、100年後、1000年後になっても、ペルセウス座流星
群は、夜空を飾ることと思いますが、どんな人々がどんな思いでこれを眺める
のでしょうか?                            
いろいろと考えることは楽しいですが、答えが出るものではないようです。